子どもたちの「目的地」はどこでしょうか?
いい点数を取ること?
いい学校に入ること?
いい会社に入ること?
わたしたちが生きる日本社会の現実として、「点数」や「学歴」や「会社」による”序列”があります。
将来の豊かな暮らしのことを考えれば、できるだけ序列の上の方にいくように…
序列の下にはならないように、できるだけ早い時期からしっかり準備することが、どうしても優先されてしまうのでしょう。
そして、その将来への道のりで「寄り道」をすることは、あまり許されない時代になってしまったのかもしれません。
学校帰りの寄り道と同じく、寄り道は「危ない(キケン)」「不安」だから。
レールや道から外れてしまったら将来どうなってしまうのだろう…と。
そんな不安を持つことは、当たり前で、決して非難されることではないしょう。
しかし、一方でこんなことも考えたいなと思うのです。
とある中学年の男の子が釣りに行く道中のこと。
目的地となる場所はありますが、彼が「こっち行ってみよう!」と言って、ちょっと寄り道をすることになりました。
そんな寄り道の途中で
「梅が咲いてる!」
「梅最高!」
「ここで(今度)お弁当食べたい」
と彼。
”なんてことない”景色の中での、”なんてことない”つぶやき、そして、”なんてことない”願望。
しかし、目的地までのこの寄り道の中で、彼は確かに”この日の生(せい)をひとつ豊か”にし、そして”「明日」への期待や希望”を抱いたと思いました。
子どもの自殺の数は過去最高を更新し続けています。加えて、子どもの不登校数も過去最高を更新し続けています。
それらは、あまりにも未来への準備を求められ過ぎて、疲れ果ててしまっている子どもからの「SOS」だとも考えられるように思います。
だからこそ、ちょっと寄り道をしてひと休みしたり、そこでの風景を楽しんだりすることが、その中で、”生きること”そのものへの活力を得ることがとっても大切だと思うのです。
子どもには、
「未来(目的地)のための準備」
と、ともに、あちこちに寄り道もしながら
「”今この時を生きている”ことへの『感動』と、”未来を生きたい”と願う『期待』や『希望』」
が大切なのではないかと感じたエピソードでした。
「目的地」自体が果たしてどうなのかということは…またいずれ。
「寄り道」から見える景色は、日常とはまた違っていて美しく、人生に”彩り”を与えてくれるものです。
以下、引用
なんてことのない作業が この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 増やしていく 水色 オレンジ
なんてことのない作業が 回り回り回り回って
今 僕の目の前の人の笑い顔を作ってゆく
そんな確かな生き甲斐は 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 頬が染まる 温かなピンク
増やしていく きれいな彩り
Mr.Children「彩り」
おお、くりかも本が載ってるわ。
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