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2022年3月7日月曜日

”難しい”から〇〇〇【子どもが遊ぶ意義】

私たち大人は、誰しも

「こんな子どもになってほしい!」

という”願い”を持っているはずです。

また、保育や教育の現場では、そのような”願い”を「ねらい」として目標と位置付けてもいると思います。

その”願い”は様々あるでしょうが

「いろんなことにチャレンジする子どもになってほしい!」

「粘り強く何かに取り組める子どもになってほしい!」

と願わない人はいないでしょう。


しかし…

子どもたちと関わる中で

「どうせ(~できん)」

「そんなこと(どうせ)おもしろくないし」

「もういい」「もうしない」

といったような”口ぐせ”で

「二の足を踏みまくる」

「石橋を叩いて渡らない」

「投げやり」「すぐ諦める」

ような子どもはいないでしょうか?

(自分にとって)「難しい」から「しない」

という子どもが少なからず…というよりか、かなり多くいるように思います。

子どもたちはどうしてそんな姿を見せるのでしょうか?

その背景はいろいろとあるとは思いますが、子どもたちの生活世界には、

「できる」ー「できない」や「〇」ー「×」の世界

が、はびこっているため、

「できない」や「×」がついて、そんな自分になってしまうくらいなら、最初から何も(チャレンジ)しない

なんてことがあるのかなと思います。








それでも、私たちは子どもたちに冒頭のような”願い”を持っています。

では、私たちは子どもたちに何をすればいいのでしょうか?


ある時、1年生女子がまりつきを始めました。

直径30センチ以上はある大きなボールで^^;

彼女は、私に「見て!」と言うと、右手でボールをついて『クルッ』と回って見せてきました。

そこで、私は彼女に「まりつきで『あんたがたどこさ』の『さ』で回る技があるけん!それやってみよう!」と言うと、私が歌う『あんたがたどこさ』に合わせて、彼女はクルクルと周り始めました。

遊んでいる最中、彼女は

「ボールがあっち行くー!」

「難しい!」

と叫んでいます。

それでも、そのあっちに行ってしまうこと…

言い換えると

「失敗」や「できないこと」

「笑い」ながら、「楽しみ」ながら

何度も何度も繰り返し続けるのです。

また、ある時期、私は

「おぬし、この早口言葉を言ってみろ!」

と、至るところで子どもにけしかけて遊んでいた時がありました(笑)

「生麦生米生卵」

は、結構言えるようです。しかし

「バスガス爆発」

はなかなか難しいようでした。

「となりのたてがきにたけたてかけたのはたけたてかけたかったからたけたてかけたのだ」

は…

私も全然言えません()

子どもたちは言えた時は言えた時でやっぱり嬉しいようです。

そして、”言えなかった”時でも、その”つまずき”が、これまたおかしくて笑えるし、おもしろいようで笑っていました。


子どもたちが遊んでいる時には、たとえ”難しく”て”つまずいて”しまった時でも、それがおもしろくて、楽しくて、何度もそのことを繰り返し続けることがよく見られます。

そんな姿を見ていると、「難しい」から「しない」ではなくて

「難しい」から「おもしろい!」

が、本来の姿なのではないのかなーと思うのです。


子どもたちが「難しい」から「しない」と諦めてしまっている時。

ちょっと”背伸び”をして成長しようとすることを諦めてしまっている時。

様々な遊びの中で

「難しい」から「おもしろい!」

という感覚が育まれ

「難しい」から「したい!」

と、なっていったら、それが自分が成長の糧となることはもちろんですが、それ以上に、様々なことにワクワクドキドキを感じられるようになって

”生きていくこと”そのものが、楽しみに満ちたものになる

のではないかなと思うのです。

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