ある女の子が、学校から図工の宿題を出されたようです。
彼女は、下絵を描いたのですが、先生から
「それは切りにくいから『違う』のを描いて」
と言われたとのこと。
そのため、彼女は学童に来るや否や、指導員にその下絵を見せると、ひたすら「消して」と言ってきました。
そして、指導員はめっちゃ消すことになりました^^;
さてさて…
先生はおそらく”よかれと思って”この子にこう言ったのだと思います
「切るのが難しいと形が変になるし、やり直さないといけなくなるかもしれないし、切りやすい線で書いた方がいいと思うよ」
なんて意味で。
しかし、彼女にとっては、この言葉は全く違ったように受け止められたように思うのです。
彼女はこの後、指導員に
「何描いたら“いい”?」
「どうしたら“いい”?」
と、何度も何度も”しつこく”聞いてきました。
そして、挙句の果てに、指導員に「描いて!」とまで言ってきたのです。それも、かなり駄々をこねて…
それに指導員はまた辛抱強く付き合いました^^;
気になったのは、この
「いい」
という言葉。
前回の記事の「いいこと」の”いい”とは全然違います。
きっと彼女は「いい」=「Good」と解釈していて
「何を書いたらGoodになるの???」
「どうしたらGoodになるの???」
と不安でたまらないように感じます。
「Goodにしなければならない」
と、いわば強迫観念のようなものすら持っているように感じます。
それはあたりまえでしょう。
なぜなら自分が書いた下絵を
「違う」
って言われたから…
「違う」=「Bad」
という烙印を押されたからです
「何したらいい?」
「どうしたらいい?」
と、聞いてくる子どもって、結構いるのではないでしょうか?
そして、その原因のひとつに、私たち大人がは子どもに対して、簡単に「違う」と言って「Bad」をつけてしまい「Good」であることを求めるようなメッセージを送ってしまっているからではないのかなと思います。
そして、このように聞いてくる子どもたちに対して、私は以前はよく
「自分で考えたら」
と言っていました。
これも、私は
「自分で考えることって大切だよ」
「自分で考えたのならなんでもいいんだからとりあえずやってみなよ」
なんて、一方的に…”よかれと思って”言っていたのです。
でも、今は違います。
子どもたちのこの「いい?」は、
「Goodにならないと不安なんだ、怖いんだよ」
「助けてよ」
と、言ってるように考えているからです。
「助けて」と言ってる子どもに
「自分でどうにかしなさい」
なんて嚙み合ってないよな…そんな冷たいことは言えないよなと思います。
では、どう対応したらいいのでしょうか?
私は、まずはその子の「助けて」に応えることを優先します。
提案したり、教えたり…
時には、代わりにやってしまうことさえありだと思っています。
そうやって、「助けて」に対して
「OK!」=「助けを出してもいいんだよ」
のメッセージをいっぱい届けたいなと思います。
そのようにして、子どもたちが誰かに助けてもらえることをしっかりと感じられて、そんな不安や怖さが解消されるまで、とにかく辛抱強く、粘り強く付き合うこと…
そして、そのことを通して子どもたちが
「Help」を出したら「必ず助けてもらえる」
ことをしっかりと感じられることができてこそ、その安心感を支えにして
「自分でやってみよう」
というチャレンジが生まれてくると思うのです。
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