ある日のこと…
1年生男子が寄ってきて
「『三節棍(さんせつこん)』つくった!」
と、右手に持った三節棍を掲げて見せてきました。
割りばしを束ねてテープでくっつけて棒のようにしたものを3個作って、輪ゴムでつないだようです。
さて、それから2日後…
彼は、小走りをしながら私とすれ違う時に、こちらを見ると
「ほら!!」
と、また、全く同じ『三節棍』を見せてきました。
彼が一番はじめに『三節棍』を見せてきた時、私は彼にこう伝えました。
「おぉー、これは割りばしくっつけて丁寧に作ったねー。かっこいいー。」
「がんばって作ったんやろうなー、”宝物”やねー!」
と。
そのため、きっと2回目に、すれ違いざまで見せてきた時には
「あっ、なべだ!ほら、この前の”宝物”をまだ持ってるよ!」
という彼からのメッセージだったように思います。
子どもは自分の”宝物”を右手に持って見せてくることがよくあります。
随分前に夏休みの工作で『エコクラフトランドセル』をつくった時。
ある2年生男子は
「これ気に入った!」
と、”1日中”、”肌身離さず”手に持ち続けていたことがありました。
もちろん、その出来具合もなかなかきれいだったのですが、彼は、じっくり丁寧に取り組む工作は苦手だっただけに、がんばって作ったそのランドセルはとっても大切なものだったのでしょう。
また、お手玉が得意で、何か記録をつくろうと、ひたすらお手玉を回し続けた6年生女子がいました。
『お手玉を落としたり降ろしたりして手から離れたらおしまい。離れなければ、途中で休憩しながらでも続けて回数を数える』というルールです。
1時間以上かかって達成した記録は…
10060回!!
でも、その記録に辿り着く前…
10000回から10060回までの”たった60回”の間には、ある物語がありました。
最初、1万回越えを目標にして回し始めた彼女は、とにかく粘り強くお手玉を回し続けました。
そして、その甲斐あって見事に1万回を越えた後…
彼女は、どうしてもその手からお手玉を離せませんでした。
「キリよく10010回までやっとこう。」
と、ちょっとだけ回して数を増やして…
お手玉を置こうとしては、ためらう彼女。
「離していい?」
と、私に聞いてきては…
やっぱり離せない彼女。
また「ねぇねぇ離していい?」と聞いてきつつ
「もうちょっと…」
と、言って、さらに「10060回」まで増やしたのです。
その後も、やっぱりお手玉を置こうとすると、ためらって苦い顔になります。
「いや、置いてもいいっちゃけどさ…」
と、つぶやきますが、いざ手離そうとすると離せないのです。
そして、「10000回」の記録を越えてから10分近く経った後、彼女は大切な大切なお手玉を、思い切って
「えいっ!」
と、箱に投げ入れていました。
子どもの手には、
「がんばりの証」としての”宝物”
が握られていることが、よくあります。
それは、手離す時には「えいっ!」と思い切りが必要なほどの大切な大切な宝物なのです。
子どもが「見てー!」とその手に持っているものを掲げた時には、そのような視点で見てみるのもいいでしょう。
「子ども」も…そして、「その手に持っているもの」も、いっそう愛おしく見えてきます。
たとえそれが、大人から見たら大したことのないものでも、ガラクタでも、汚くても…子どもにとっては大切な大切な宝物です。
(3月24日追記)
そういえば、もうひとつ…
子どもたちがその手に持つとっても大切な宝物がありました。
子どもたちは、よく私の左手の指を握っています(右利きの子は)
小さな手の子は小指1本とか…
大きくなると指が変わるし…2本とかに増えます(笑)
やがて手が大きくなると、手全部を握る子ども。
子どもにとって、大人の手もとっても大切な宝物なのでしょう。
やがて、その宝物は私たちから”好きな人”に変わるんでしょうけどね。
0 件のコメント:
コメントを投稿